お風呂に入ると健康になる、お風呂に入るとキレイにな る、お風呂に入るとダイエットになる。
そんな日本人が大好きなお風呂の効用を交えた、楽しい健康入浴がテー マのお風呂の話です。

日本列島は、全国いたるところに温泉が湧いています。
伊豆の地名は、 温泉が湧き出るところから「ユイズル」と呼ばれ、さらに縮まって「イズ」と転化したとされています。
湯河原は、湯の淀む川原の意味だそうです。
昔から、日本人は温泉や石風呂(自然の岩窟を利用した蒸気浴のお風 呂)などに入浴していたそうです。

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■ お宿本舗 

■混浴の お風呂 がある宿


■湯原温泉・源泉か け流しの湯宿

お風呂を楽しく、快適に!
お風呂の歴史は、6世紀に仏教が伝わるとともに、中国から伝わってきたといわれています。仏教では「お風呂に入ることは七病を除き、七福が得られる」と説 かれていたことから、お風呂に入る事は健康に良いと理解されていました。以来、寺院では「体を洗い浄める」という大切な業の一つとして浴堂が備えられるよ うになり、浴堂のない庶民にも入浴を施したことから、お風呂に入るという習慣が始まったとされています。
大仏様で有名な東大寺には、多くの学僧や僧侶の心身を清浄にするため、寺院として始めての湯屋が作られました。1282年に作られたとされる、現存する最 古の浴槽、東大寺の大湯屋は、約1000リットルの大釜でお湯を沸かし「鉄湯船」と呼ばれる浴槽(2000〜3000リットル)にお湯を供給する給湯方式 が採用されていたそうです。


平安時代、上流公家の入浴回数は、普通1ヶ月に4〜5回だったそうです。他の日は行水をしていたとされていますから、少なくとも上流の公家達は、2,3日 おきにお風呂を使っていたことになります。
「明月記」には、寛喜三年(1231年)、関白藤原道家親子が、自分の別荘に有馬の湯を、毎日牛車で200桶も運ばせて、入浴していたという記述があるそ うです。
また、江戸時代には「御殿湯」といって、熱海の湯を人足が担いで江戸城まで運んでいたそうです。
江戸時代まで「お風呂」と「湯」は区別されていたそうです。
「お風呂」とは、釜に湯を沸かし、その蒸気を浴槽内に送り込み、熱い水蒸気により身体の垢を浮き上がらせて、適当な時間に室外に出て笹の葉などで、身体を 叩いたり、なでたりして垢を落とし、近くに用意したぬるま湯や冷水で身体を充分に洗うというもので、「湯」とは、今日一般の家風呂や銭湯と同じであったそ うです。


● 五右衛門風呂
五右衛門風呂とはカマドを築いて釜をのせ、その上に桶を取り付け、底板を浮き蓋とし、その板を踏み沈めて入浴します。
五右衛門風呂の名前の由来は、豊臣秀吉が石川五右衛門をかまゆでの刑 にしたという俗説から生まれたのだそうです。
五右衛門風呂は底が鉄製なのに対して、長州風呂は全体が鉄製です。現在では長州風呂も五右衛門風呂として一般的に呼ばれています。

■湯の国Web


● 長州風呂
長州風呂は、大きな鉄の湯釜が浴槽です。
これに別の鉄釜でどんどん湯を沸かし、このお湯を浴槽に運び入れたり、桶などを利用して流し込みます。適当に水を注いで湯加減を見て入浴します。
現代では五右衛門風呂と同じように、下から加熱して、湯を沸かせます。
五右衛門風呂との違いは、木の桶があるか、ないかだけのようです。
純粋な公衆浴場「銭湯」が登場したのは江戸時代といわれています。
家康が江戸入りした翌年1591年には、江戸に湯屋が開業しているそうです。
小屋の中に石を多く置き、これを焼いて水を注ぎ湯気を立てる。その上にすのこを置いて入る蒸気浴であったそうです。今で言うサウナのようです。これは、江 戸の街の建設に携わる出稼ぎの庶民、労働者のニーズに応えるものであったようで、なかなか好評だったそうです。

■洗いの殿堂


● 戸棚風呂
蒸し風呂から今日の銭湯に変わる前に「戸棚風呂」というお風呂ができ ました。
その構造は、蒸し風呂の底に湯をいれ、下半身を湯に浸し、上半身を蒸気で蒸しました。
お風呂と温浴をミックスした仕組みになっています。サウナのように中で温まって垢の浮いたところを洗い場で洗い落としたそうです。引き戸を閉めて戸棚に隠 れるような感じから「戸棚風呂」といわれたそうです。燃料不足や水不足のためこうした形になったということだそうです。
その後「戸棚風呂」は、「柘榴口」というものに変わっていきました。

■銭湯の入り 方


●柘榴口
浴槽の外側を破風屋根の小屋で覆い、三 方を羽板で囲んでしまいます。一方の入り口のみは開いていて、上から半分位のところまで板戸のようなものが作られました。その板戸には、三保の松原や牡丹 に唐獅子などの絵が描かれていたそうです。そして、その左右の柱には漆喰や金色の金具が巻いてあり、すこぶる美しかったそうです。
この入り口のことを「柘榴口」と呼んでいたそうです。お風呂の浴槽に入る客は、この板の低い入り口から頭を下げて入り、1,2歩先に進みます。そこには 2m70cm四方で湯量が少なくてすむように浅くした浴槽があります。
内部は、入り口からの光線しかなくて、お風呂の中は、こもった蒸気で暗く、人の顔もわからない状態だったようで、風紀上問題も多く、人が殺されていても分 からないなんていうこともあったようです。 銭湯ができた当初は、お風呂は混浴で男湯・女湯の区別はなかったということです。

老中松平定信による寛政の改革(1791年)、水野忠邦の天保の改革(1842年)などで混浴は禁止されたそうですが、徹底できなかったようで、明 治時代 になっても混浴は続いていたそうです。
また、当時から薬湯専門の湯屋もあったそうで、柚湯や菖蒲湯など利用していたそうです。今でいう「ハーブ風呂」です。
そして、銭湯は流行に敏感な江戸っ子達の社交場でもあったようで、様々な銭湯文化が生まれました。その頃から日本では、入浴という習慣が庶民の間で根づ き、世界に類を見ない「風呂好き国民」となったといえるでしょう。

■JTB

明治10年ごろ、東京神田に新しい銭湯ができました。この銭湯は浴槽を板間に沈めて湯をたっぷりと入れ、さらに流し場の天井を高くして湯気抜き窓を 設け た、従来の銭湯と比べてかなり開放的なものでした。これより銭湯は明るく清潔になっていきました。
明治17年、警視庁は柘榴口式浴場を風紀上の問題から禁止したため、現在の銭湯の形へと変わっていきました。 明治時代の日本人のお風呂の入り方に関する、B.H.チェンバレンという人の手記によりますと、「毎日下着を替えるヨーロッパのやり方からみると、 お風呂から上がると、また汚い着物を着る日本人のスタイルは、不潔に感じる人もいるが、しかし、日本の下層階級の人でも、いつもお風呂に入り、身体をゴシ ゴシ 洗っているから、日本人の着物は外部は埃で汚れていても、内部が汚いということは考えられない。日本の大衆は世界でも最も清潔である。」と言っています。 現在では、お風呂でテレビを見たり、お風呂で音楽を楽しんだりと、様々なスタイルでお風呂タイムを満喫できますし、入浴する事でのダイエットや健康にも、 色々な方法や知識が広がっています。

■ 中高年のや り直し英会話



●お風呂おもしろ雑学
■風呂敷
風呂敷は足利時代の大名が、入浴する時に、他の大名の衣服と間違えないようにするため、家紋を染め抜いた布で衣服を包み、湯上がりには、その布の上に座っ て、身繕いをしたことから、風呂の敷物として、風呂敷と呼ばれるようになったということです。
■浴衣(ゆかた)
寺院の浴堂では、大勢の人が入浴するため、風紀衛生上よくないという理由で、入浴者は仏典にしたがって、必ず明衣(あかは)という、白布の衣をまとって入 浴していたそうです。
その着物を湯帷子(ゆかたびら)と呼んでいたことから、湯帷(ゆかた)となり、浴衣と呼ぶようになったようです。
■産湯
人生のスタートの清めである沐浴。鵜羽湯(うばゆ)と言われていたようです。お湯の中に消毒のために、高価な香料を入れることもあったそうです。
キリスト教、ヒンズー教、イスラム教でも行われ世界共通の儀式のようです。


半身浴がいい。
温泉や銭湯の楽しみは、広いお風呂で手足を思いっきり伸ばして入る事。でも、広いお風呂がなければそんな贅沢は無理です。普通のお風呂では、浸かって温ま るのが精いっぱい。
日本の浴槽は首まですっぽり全身浴ができるように、ちょっと深めにできています。でも、首までどっぷりの全身浴をすると、思った以上に水圧で心臓に 負担が かかってしまいます。この水圧から心臓を守る入浴法が半身浴です。 お湯がみぞおちよりやや下にくる程度にして浸かる方法です。下半身だけに水圧がかかるので、血液が心臓から押し出されて、足先まで行き、足先から心 臓に戻ってくる静脈の血液を押し戻すのも楽になります。
上半身が寒いのではと思いますが、下半身で温められた血液は、上半身もちゃんと温めてくれます。
しかも今までよりゆったりとした気持ちで、長時間お湯につかることができるから、体が芯から温まることになります。
一人暮らしで、家のお風呂がユニットバスだという方でも、半身浴ならリラックスしてお風呂を長時間楽しめるでしょう。
温泉や銭湯の広いお風呂入るときも、なるべく上半身はつからず、心臓を水圧から守るように心がけましょう。

■銭湯 ・温泉・サウナ王国 

長湯はお肌のスキンケアタイム
半身浴などをして、温いお湯に長時間つかっていると、じんわりと出てくる汗と皮脂が混じりあって、天然のクリームの役割をはたしてくれ、肌に潤いを与えて くれます。そんな時が最適なスキンケアタイムです。
顔の周辺には、リンパ節が集まっていますので、指先で口元から鼻、目元を通り、耳元の付近まで流すようにさすります。
また、ほほの内側から外側へ円を描くようにさする。目元から両耳に向かってさするなどのように、リンパ管に沿ってマッサージをしてあげれば、むくみや乾燥 しがちな肌に潤いを与え、目元のくまやくすみの解消にも効果があります。

■ キレイサーモフロア 

■ おそうじ 日記: お風呂 掃除 


お役立ちリンク

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薬湯について
日本には古くより伝わる薬湯があります。四季に合わせた行事や健康の ため、お風呂の効果を高める働きを利用してきました。
薬湯とは、薬用の植物を煮出したエキスや、果実や葉などを入れたお風呂のことです。
もともとは傷や病などを癒すために利用されていました。
今では季節の風物詩として知られ、効果は気分の問題と思われがちですが、古くから伝わる薬湯には血行促進や保温、発汗などの効果がみられます。
古くより冬至には柚子のお風呂に入る習慣があります。血液の流れを良くする効果が高く、ひび・あかぎれを治し、風邪の予防になると言われてきました。
血液の循環がよくなることから柚子湯は腰痛や冷え症などに悩む人に向いているといえます。
発汗量が多くなるのが大根の葉湯。昔から農村で冷え性や婦人病治療に使われてきました。
干した大根の葉には、保温効果を高める効果があります。
入浴後30分たっても発汗が続くといいます。汗をかけば新陳代謝がよくなり、老廃物が体の外に出やすくなります。
古くから5月5日の端午の節句には、菖蒲湯に入るという習慣がありました。
根の部分を使うのですが、今では菖蒲根は手に入りにくいので、湯船に2〜3枚の菖蒲の葉を浮かべてお風呂を沸かし、そのまま入浴するというものです。(ア ヤメ科の「花菖蒲」ではないのでご注意ください。)

■インターネットホットライン
インターネットホットライン連絡協議会は、インターネットに関するいろいろな問題の相談・通報窓口の実務担当者相互の情報共有や連携を目的として、 2000年12月に設立された緩やかな連絡組織で、事務局は財団法人インターネット協会にあります。現在49団体29警察が参加しています。

菖蒲の言葉が尚武に通じるところから、邪気を払うといわれていたそうです。
昔は「土用の日は桃の葉湯に入る」と言う習慣がありました。
夏の土用に入る桃の葉湯は、あせもや虫さされなどを防ぐといわれてきました。
その他にも、脚気に効果があると言われていた杉湯。
塩湯は身体が温まるとされ、古くから利用されていたそうです。
柚子の皮、無花果、楠、おばこ、そば粉なども利用されていたそうです。

薬湯には抗酸化力があるといわれます。
温泉、水道水、薬湯を調べたところ、水道水は酸化力があり、温泉や薬湯は抗酸化力をもつことが分かったといいます。
水道水が酸化力をもつのは塩素を含んでいるためです。肌は年齢を重ねるにつれ酸化し衰えていきます。抗酸化力のある温泉と薬湯は肌の老化を遅らせる効果が あるといえるようです。
どの植物も人によってはアレルギ−を起こす可能性があります。
体質に合ったものを選んで上手に活用してください。

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浴剤として用いられる薬用植物は、古くは室町時代の、五木八草(ごぼくはっそう)湯、三木一草湯というのが書物に書かれているようです。
五木とは、桑、槐(えんじゅ)、楮(こうぞ)、楡(にれ)、柳、あるいは、桑、槐、桐(きり)、樗(おうち)(センダン)、朴(ほお)、または、桑、槐、 桃、楮、柳のことだそうで、
八草は、菖蒲、艾葉(がいよう)(ヨモギの葉)、車前(オオバコ)、荷葉(ハスの葉)、蒼耳(そうじ)(オナモミ)、忍冬(にんどう)(スイカズラ)、馬 鞭草(ばべんそう)(クマツヅラ)、(はんる)(ハコベ)のことだそうです。
江戸時代には、西では薬用植物を使った薬湯、東では温泉のお湯を沸かし直した薬湯、が銭湯のほかにできたそうです。明治の中頃に、浴用中将湯や浴用実母散 が一般に販売されていたようです。
これらは布袋に生薬(しょうやく)を切ったものを詰め、一定のお湯で煎出し、煎出した液といっしょに袋ごとお風呂に入れ、薬湯として用いられていたそうで す。

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お風呂の効用
●温熱効果
温かいお湯につかると体温があがり、毛細血管も拡張され、血液の循環が良くなります。そして、新陳代謝が活発になることにより、体内にある老廃物を汗と一 緒に排出してくれます。
●水圧効果
お風呂に全身入ると身体は500kg以上の水圧を受けるといわれています。この水圧でマッサージ効果が得られます。また、ダイエット効果や呼吸機能の向上 もあります。
●浮力効果
水中では、浮力があるので身体が軽くなり、足腰や関節などにかかる負担が少なくなり、心身ともにリラックスする効果が得られます。
●お風呂のダイエット効果
入浴によってマッサージの効果や、新陳代謝の改善により、体内の脂肪や、水分の溜め込みが解消され痩せやすくなるといわれています。

■世界の温泉 

■ 世界名作劇場の お風呂

世界のお風呂

紀元前18〜14世紀頃、ギリシャのクレタ島のクノッソス宮殿に、ミノス王のためのお風呂 があったそうです。
排水設備も完備された、現在のお風呂と変わらないものだったようです。
ギリシャでは、紀元前5世紀頃から、簡易な公衆浴場があり、紀元前1世紀には運動施設にも浴場を付設するようになりました。
ただし、それは座敷浴槽や洗盤を並べただけの簡易な浴槽だったといいます。
ギリシャの後、ローマ(紀元前2世紀頃)がその入浴習慣を取り入れ、大規模な公衆浴場の文化を発展させました。

ローマ時代(4世紀頃)のお風呂は、大きな公共浴場であったそうです。
ポンペイ遺跡のスタビア浴場などがあります。
小規模な浴場を「バルネウム」、大規模な浴場を「テルマエ」といいます。
紀元前1世紀頃には、ローマにはネロー浴場、カラカラ浴場(広さが3万坪以上もあったそうです)、ディオクレーティアーヌス浴場(3000人の収容が可能 だったそうです)などの巨大テルマエが建設されました。
脱衣室、冷浴室、温浴室、熱浴室、運動場、発汗室、摩擦室などが備えられ、室温の異なる複数の浴室を巡りながら入浴していたそうです。
スポーツ施設や劇場、図書館も含まれていたそうです。
単なるお風呂ではなく、文化センターのようであったそうです。今の大型健康ランドの原型なのでしょうか。
ローマ軍の行くところには古代ローマ型の風呂が作られました。
1世紀から2世紀の中ごろまでに作られたものが多いということです。
4世紀にはキリスト教の禁欲思想により、裸を他人の視線にさらす入浴が禁忌とされました。
やがて、ゲルマン民族の大移動などでローマの水道橋が破壊されたり、多くの大浴場は機能を停止し、
ローマ帝国の滅亡とともに次第に消え去ります。
ヨーロッパでは、これより数百年もの間、キリスト教会からの圧力により閉鎖命令を受け、共同浴場はヨーロッパから姿を消す ことになります。
16世紀のヨーロッパの考え方によると、人の肌は穴だらけで、ここからペストや悪性の空気、冷気、その他の悪い病気が入り込み、また、体内の物質が、この 穴から外に流れだし体力が失われると考えていたそうです。
そして、水やお湯のお風呂に入ることは、肌に裂け目を作り、穴を拡大してしまい、身体を破壊し、膨張させ、悪性の空気の影響をこうむりやすくするので、お 風呂は不要であるばかりか、身体にとっては有害である。と考えていたそうです。
そのような理由で、ヨーロッパではペストの流行中には、蒸し風呂屋(サウナ)を閉鎖する都市が相次いだということです。
17世紀のフランスでは、清潔というと下着を替える事で、お風呂に入る事ではなかったといいます。あのルイ14世は64年間に1回だけしか入浴しなかった のだそうです。
ヨーロッパのお風呂文化は、キリスト教の禁欲主義(裸はダメ!)により、中世ヨーロッパでは病気の治療法のひとつとして残 るようになったのだそうです。
18世紀になったカトリックの国でも、大抵の女性が1度もお風呂に入ることなく一生を終えたそうです。
一方、1866年のドイツでのアンケートによると、平均的ドイツ人は少なくとも30年に1度しか入浴していないという結果がでたそうです。
ヨーロッパのお風呂文化は、キリスト教の禁欲主義(裸はダメ!)により、中世ヨーロッパでは病気の治療法のひとつとして残るようになったのだそうです。
18世紀になったカトリックの国でも、大抵の女性が1度もお風呂に入ることなく一生を終えたそうです。

一方、1866年のドイツでのアンケートによると、平均的ドイツ人は少なくとも30年に1度しか入浴していないという結果がでたそうです。
19世紀末になったイギリスでさえ、身体を清潔にするためにお風呂に入るという習慣のない人達が大勢いたということです。
「汚 れているよりは、清潔な方がいいに決まっている。入浴と歯磨きは同じような物で、清潔であれば気持ちいいが、歯を磨く 事からは何の楽しみも得られな い。(J.スワード)」だそうです。
市民生活で高級アパートに浴室が設けられるようになったのが、1880年以降。軍隊にシャワーが導入されたのが1860年であったといわれています。まだ この頃になっても医師の指示が無い限り毎日お風呂に入ってはならないとされていたそうです。
近代のアメリカやヨーロッパのお風呂は、バスタブにお湯をいれますが、かなりぬるく、体温くらいか、それよりも低いお湯を、バスタブのせいぜい半分か 1/3ぐらいしか入れません。
その中で石けんでゴシゴシ身体を洗う。バブルソープなどでシャワーが無い時は、そのまま上がってしまい、あとはバスタオルで泡を拭うだけだそうなのです。
シャワーが無かった時代に、個人の家では浴槽を備えていない家が多かったようで、アメリカの一般大衆は入浴するとすれば、土曜の夜に台所でヤカンの湯を 使って身体を洗っていたそうです。
現在、世界中で最も多く利用されているお風呂はサウナではないでしょうか。
北欧のフィンランドサウナが有名です。
ログハウスの中の一角に炉があり、その上に石が置かれます。火を焚き石を焼いて、水をかけ水蒸気で部屋を熱するというものです。
フィンランドでは、結婚やお産のための儀式にサウナを使ったといいます。今日でも多くのフィンランド人は、サウナ室で生まれたことを自慢するのだそうで す。
1638年には、北アメリカのデラウェア川のあたりにアメリカ初のサウナが、フィンランドの移民によって造られたそうです。しかし、アメリカ中にサウナが 広まるには第2次世界大戦後までかかります。
フィンランドのスポーツ選手がトレーニングに、サウナを利用していると知ってからのことです。
1960年代、オリンピックの選手村に、サウナが設置されます。
その頃、ホワイトハウスにもサウナが設置されたそうです。
ケネディ大統領一家も、サウナを楽しんでいたのでしょうか。

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